台湾国籍だった”金美齢”
日本統治時代の台湾の台北の裕福な家庭に生まれる。1953年(昭和28年)に台北市内の台北市立第一女子高級中学を卒業後は結婚、
国際学舎(留学生会館)に勤務した。
1956年、22歳の時離婚。1959年(昭和34年)、25歳で早稲田大学第一文学部英文学科に留学。翌1963年(昭和38年)に同大修士課程に進学。1964年(昭和39年)、
東京大学大学院博士課程在学中の周英明と再婚(学生結婚)し、1男1女をもうける。
1971年(昭和46年)、早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
日本統治時代に生まれた金美齢ですが、日本が台湾を統治?って思う人の為に。
大東亜戦争の時代、現代のアジア全体は日本が統治しており当時の台湾に日本の技術でインフラ整備をしたり
建物や色んな設備などを台湾の方に提供していた時代になります
その当時の台湾人の方はもうすでにおじいさんおばあさんになり亡くなってる方もいますが子や孫に「日本人のおかげで台湾が成長した」と語り継がれ親日国としても有名ですね
その当時に生まれ育てられた金美齢も親日として育てられたと容易に想像することができますね
台湾独立運動時代
まだ台湾が中国だった頃、日清戦争の後に日本による「台湾民主国独立宣言」などがあった
1945年の日本敗戦後も台湾独立運動は起こらず、中華民国への「祖国復帰」を多くの台湾人が大きな抵抗もなく受け入れたが、
実際に中華民国による統治が始まると、台湾人の多くは腐敗した国民政府に失望し、台湾人と「中国人」の違いを次第に自覚するようになった。戦後の台湾独立運動は、このような出発点に立ち、中華民国体制を克服し、大陸の中華人民共和国による支配をも拒絶する運動、
即ち「中国人」ではなく「台湾人」として生きるための運動として展開されている。
その独立運動が激化している時に金美齢は青春時代を過ごしています
その後早稲田大学大学院時代に金美齢は台湾成年杜の活動に参加しています。その後色々な台湾独立に関わる運動に参加し
自らも独立運動団体を設立するなどの活動をしていましたが、
当時の政府に目をつけられてしまい金美齢をブラックリストにし旅券を発行権利を剥奪し
日本にいた金美齢は事実上の亡命生活を強いられました
その後台湾人初の中華民総統に就任を機に台湾民主化の流れが起きて金美齢をを含む300人あまりのブラックリスト名が解除され
金美齢は31年ぶりに台湾に帰国した
その後2009年に金美齢は日本へ帰化
まとめ
時系列的に紹介出来なかったのですが台湾独立運動時代に結婚と出産も同時進行で起きていましたね
台湾という国や金美齢のルーツをたどれば親日の理由が分かる気がしますね

元プロマジシャンjinno(ジンノ)です
摩訶不思議なことが大好物すぎて色々追求した結果プロマジシャンになったりしていたのですが・・一向に芽が出なかったのでプロマジシャングッバイ(笑)
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